ハイこれ、と羽京センパイに差し出されたのは謎の木の実だった。

「……良いんですか?ありがとうございます」

さすがと言うべきか、彼は食べられそうな木の実を集めて持ち歩いているらしい。

「いわゆる携行食だね。味はお察しの通りなんだけど」
「いやいや食べ物にありつけるだけで本っ当にありがたいです!」

ある日突然目覚めたら原始時代の生活を強いられて、今は不穏分子の見張りなどというキナ臭い仕事をしている。
とにかく生きなければならないのでどうにかこうにかやっては来たけれど、やっぱり美味しいご飯が食べたいという気持ちはおさえられなくなりつつある。

「あーーお米食べたい!誰も言わないけどお米とか食べたくないですか!?」

言っても仕方のないことを喚く私の横で羽京センパイも木の実を詰まんで頬張っている。うーん、リスみたいだ。

「そうだね……米も良いけどそれならカレーライスが良いかなぁ」
「懐かしの味というやつですか」
「安直って思ったでしょ」
「あはは、まさか。私も食べたいですカレーライス」

そもそもカレールーを作るには何が必要なんだろう。スパイス、小麦粉、バター、エトセトラ。
なんとなくは気付いているのだ。私が自分の胃袋に正直に生きていたら、ここでの生活には堪えられなくなってしまう。これでは見張り役なんて到底務まらない。

「もう暫くはこの木の実で我慢してよ」
「暫くって……?」

暫くは暫くだと羽京センパイは目を細める。
時たま物憂げな雰囲気を宿していた瞳が、少し違って見えた。うまくは表現できないけれど、今の彼は少し先の、確実な何かを見ているような気がする。

「にしても何故いきなり」

音をキャッチする事に集中している彼がわざわざこうして食べ物を分けに来てくれるなんて、一体どういう風の吹きまわしなんだろう。

「お腹の音聞こえちゃった」
「そんな事だろうと思いましたよもー!!」

私の勘も意外と当たる。それが本当に分かったのは、もう少しだけ先のお話。







美味しいものを食べるとお腹と心も満たされる。
もう一生食べられないかもと思っていた数々の料理を、この世界でも味わえるとは。シュトーレンを口にした時は羽京センパイと二人で感動の涙を流した程だ。

「また入り浸ってたの」
「もうフランソワ様々ですよ〜」

それなのに羽京センパイは私の食欲に最近少々呆れ気味である。
しかし私もただ食べに来ているだけではない。料理の基礎知識や作り方を、シェフの下で学んでいるのだ。目新しい事は出来なくても、一人一人が少しでも知識や力を身に付けて生活の基盤を支える必要がある。

「さしずめ師匠、と言ったところか」
「師匠と弟子……うんうんなんだか良い響きですね」
「君が弟子入りしたならセンパイはもうお役御免かな?あと、これも」

急に寂しい事を言い出したと思ったら、彼が差し出したのはあの時と同じ、携行食の入った袋だった。

「センパイはずーっと私のセンパイですよ」

昨日の事のように思い出せる。あの日一緒に食べた渋くてえぐい、お世辞にも美味とは言えないあの味。

「ラーメンを食べた時、初めて一人前を完食できて父に褒められたのを思い出しました」

食べた時に蘇るのは、誰かとの会話だったりその人の顔だったり……要するに思い出だ。

「誰と一緒に食べたかっていうのも大事なんです。羽京センパイもあの時は色々辛抱していたと思うけど、私は……」

私は食べるのが大好きだ。食べるたびに刻まれる味や匂いはもちろんだが、それに加えて一緒に過ごした人達も大好きなのだ。

「ええと、それに木の実って食べてると止まらなくなっちゃうんですよね!クセになるというかなんという、むぐ」

言葉が中断したのは、何かを唇に当てられたから。
押し付けられたそれをそのまま咀嚼すると、あの独特の味が口の中に広がった。

「もう一個食べる?」

次々とセンパイの手から与えられる木の実をされるがまま口に入れ、噛んでは飲み込んでいく。

「ほらもっとお食べ」
「うう苦い、もう一個……」

羽京センパイに無邪気な笑顔でそんな事を言われたらいくらでも食べられてしまう。
通りがかった千空に「いつまで餌付けしてやがる」とツッコまれるまで、羽京センパイは延々と私に木の実を食べさせ続けていたのだった。



2019.12.22 through her stomach


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